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この件を理解するには、まず「比較生産費」という概念を理解する必要がある。経済学の解説書などを読んで理解してほしい。あまり難しい概念ではない。
→ Wikipedi 「比較優位」
この考え方は、国内での分業や、労働者間での分業にも応用される。例えば、有能な政治家と秘書で例えると、政治活動も秘書業務もどちらも、政治家は秘書より早く出来るとする。要するに、「各人は得意なものに専念せよ」ということだ。そのあとで、各人が自分の生産したものを交換すれば、全体としての総和は大きくなる。
しかし、政治家は政治活動に専念すべきである。政治家が、秘書業務を秘書に任せることで、全体的なアウトプットの改善が図られるからである。
単純に言えば、「分業で分担すればいい」ということだ。
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このことは、食糧の増産についても、当てはまる。
日本の土地単位あたり収量が、アフリカよりも上だとしよう。日本の農業生産性は、アフリカよりも高い。しかし、そうだとしても、日本は農業よりも工業(など)に専念するべきだ。なぜなら、日本の農業はアフリカの農業と比べて大差ないが、日本の工業はアフリカの工業よりも圧倒的に優れているからだ。
ここでは、次のように分担するといい。
・ アフリカ …… 農業(食糧生産)
・ 日本 …… 工業
このことが、「比較生産費」の概念からわかる。
──
ただし、もっとうまい方法がある。こうだ。
・ アフリカ …… 農業(食糧生産)
・ 日本 …… 工業 & アフリカの農業生産の支援
つまり、日本で補助金を高めて、農業の自給率を高めても、金の無駄遣いになるばかりだ。金のほとんどは、日本の農業従事者に吸い取られてしまって(人件費になるばかりで)、肝心の農業生産は増えない。
それよりは、アフリカで、農業生産を高めるように、日本が指導すればいい。たとえば、農業指導者の人件費を負担したり、農業技術の普及に努めたり、井戸を掘ったり、学校を作ったり。……こういうことに金を遣う方が、はるかに食糧増産効果がある。(なぜなら、金が高額の人件費に化けてしまうことはないからだ。)
──
結論。
「食糧危機だ」
という報道を聞くと、
「すわ、食糧自給率を高めなくっちゃ」
と思う人が多い。しかしそれは、浅はかというものだ。経済学を理解すれば、そのことがわかる。(「比較生産費」の概念から。)
──
具体的にモデル化して言おう。
食糧増産のために、国民一人あたり1万円弱を徴収する。1億人あまりいるので、1兆円。このお金で、食糧を増産する。
次の二つの道がある。
(1) 食糧自給
狭い国土で非効率な農業生産を推進する。たしかに自給率は高まるが、金のほとんどは農民(および農業周辺の土木業者や機械業者)の人件費に化けてしまうので、実際の増産量は大したことがない。
(2) 国外生産の援助
国外の途上国で生産の援助をする。労働生産性で言うと、日本よりも非効率なのだが、何しろ、人件費がべらぼうに安い。そのせいで、同じコストをかけるなら、圧倒的に多くの食糧を増産できる。
この (1)(2) を比較すると、かけた金は1兆円で同じ。ただし、結果は違う。
(1) では、金は人件費などに化けるだけで、食糧はたいして増産されない。国民の口に入る食料の量も少しだけ。
(2) では、金は途上国の人件費になる。一人あたりの増産量は大したことがないが、大量の人々を雇用するので、食料は大幅に増産される。また、途上国の貧者は、豊かになれて、人間らしい生活を送れる。そのせいで、日本からの工業輸出品が増えて、日本は儲かる。
本質的に言えば、次の二者択一だ。
「日本人が、自分で田んぼで稲を植えるか? それとも、自分では高額のハイテク製品を生産して、それを定額の食料と交換することで、大量の食料を得るか?」
ここのところを理解していない人が多い。
「食糧自給とは、食糧の自給率を高めることだ」
と思い込んでいる人が多い。大いなる錯覚である。正しくは、こうだ。
「食糧自給とは、食糧の自給率を高めると同時に、所得を失うことだ。農業で生産物を得るせいで、工業で生産物を失い、所得を大幅に失うことだ。つまり、自給率を高める代償として、生活の質を大幅に下げること(途上国民のようになること)だ」
──
物事には「代償」というものがある。何かを得れば、何かを失う。それを理解しないで、「自給率を高めればいい」と思い込んでいる人々は、ただの阿呆である。
( ※ 日本のように平地の少ない国で、本格的に百%の食糧自給をめざすとしたら、日本人のほとんどは農民になる必要が出てくるかもしれない。その場合、先進国国家としての日本の地位は失われる。)
[ 付記 ]
このことは、たとえ話として、一人一人にも適用できる。
(a) 自給論者
自給論者は、「食糧危機だ」という報道を聞いて、さっそく自分の家で食料を生産することにした。とりあえずは、近郊に田畑を借りて、農業生産を始めた。しかし、慣れない体で働いても、ろくに働くことはできない。肉体労働なんか、もともと無理なのだ。しかも、知識がない。不慣れなことばかりやったので、食料はほとんどできなかった。かろうじて、自給自足になるだけだった。餓死は免れたが、文化生活はまったくできなくなった。テレビも自動車も家もすべて差し押さえられてしまい、段ボールで暮らすしかなくなった。それでも「自給できるからいいんだ」と満足した。
(b) 適材適所論者
適材適所論者は、「食糧危機だ」という報道を聞いて、さっそく自分の仕事に専念した。いつもは怠けながら仕事をして、ネットでくだらないブログやサイトを読み回ってばかりいたのだが、心をあらためて、仕事に専念した。そのせいで、生産が増え、給与も上がった。こうして、価格の上昇した食料をうまく購入できるようになった。給与がたっぷり上がったので、お釣りが来るほどだった。
自給論者の差し押さえられたテレビや自動車などが競売に出されたので、それをタダみたいな安価で引き取った。「しめしめ」と彼は満足した。
一方、食料価格が上昇したので、世界各国では耕作地が増えた。コーヒー豆畑で搾取されているばかりだったアフリカ人も、耕作地でイモやネリカ米を耕作するようになった。食料価格が上昇したおかげで、アフリカ人の生活は文明化された。
結局、先進国の自給論者は原始人化して、途上国のアフリカ人は文明化される。 (^^);
( ※ なお、「途上国になれば一安心」と思う人もいるかもしれないが、その場合も原油を輸入することはできない。また、原油を輸入する金もない。となると、自動車のある先進国の生活は諦めて、徒歩で移動するしかなくなる。交通手段も徒歩にして自給自足するわけだ。)
( ※ 「アメリカは食糧自給ができているぞ」と思う人もいるかもしれないが、あれは、インディアンのもつ大陸を侵略して強奪したからだ。アメリカのようになりたければ、まずはアメリカを侵略することが先決だろう。
【 追記1 】
本項について勘違いしている人が多いようなので、ポイントを指摘しておこう。
本項は次のことを主張しているのではない。
「国内よりも海外(途上国)で食料生産をするべきだ」
つまり、食料生産の場所を論じているのではない。
数値で書き直せば、次のことを主張しているのではない。
「国内で 100万トン生産するよりも、海外で 100万トン生産するべきだ」
かわりに、次のことを主張している。
「国内で 100万トン生産するよりも、海外で 500万トン生産をするべきだ」
つまり、「国内か海外か」ということを論じているのではなく、「100万トン生産するか 500万トン生産するか」を論じている。
国内で 100万トン生産する場合には、国内の食料は満たされるが、海外で不足が生じる。
海外で 500万トン生産する場合には、そのうち 100万トンが日本に来て、残りの 400万トンは現地に残る。(決して全量を日本が奪うわけではない。)
要するに、生産の場所ではなくて、生産の総量が問題となるのだ。
本項が何を論じているか、はっきりと理解してほしい。単に「海外よりも国内の方がいい」という発想は、場所だけを見て、総量を見ていない。そこにあるのは「自分だけよければいい」という発想であり、全地球的な発想が欠けているのだ。
とにかく、大切なのは、全地球的規模の食糧増産だ。それを忘れると、次のような思考の陥穽に陥る。
「自給さえしておけば大丈夫だと思ったら、異常気象のせいで日本だけが不作になった。しかるに、日ごろから食料輸入のルートを構築しておかなかったので、不作の影響をまともに食らってしまった。そのあげく、人々はブーブー文句を言った。『自給さえしておけば安全だと思ったのに、どうして日本だけが食糧不足になるんだ。こんなことは理論的に、絶対あってはならないことだ! ブーブー!』」
しかし、ブーブー言えば言うほど、腹が減るばかりであった。
[ 注記 ]
「外国で食糧生産すること」
というのは、
「いざというときに外国の食糧を奪うこと」
を意味するのではなく、
「外国の食糧総量を増やすこと」
を意味する。
たとえば、食糧の不作があったとしよう。その場合、「外国の食糧生産」という方針を取っていたか? イエスかノーかで、次の二通りに分かれる。
・ イエス …… 外国では 500万トンの増産が 400万トンに減じる。
そのうち半分を日本が取り、地元が半分を取る。
・ ノー …… 外国では増産がゼロ。
日本も外国も、取り分はゼロ。
この違いをはっきりと理解しよう。
「配分」だけを考えて、「総量」を考えないと、「相手から奪う」ということばかり考える結果になってしまう。それでは無意味だ。
比喩的に言おう。ある人があなたに言った。
「 100万円をプレゼントします。それを適当に運用してください。その後、もし 200万円にまで増えたら、増えた 100万円を二人で山分けしましょう」
あなたは考えた。
「せっかく自分で 100万円を増やしても、そのうち半分を相手に奪われるのでは、50万円の損が発生する。損は絶対にしたくない」
こう考えて、あなたは「奪われる」ということを一切拒否した。その結果、あなたは遊んで 150万円を得る機会を、失った。「50万円を奪われるのはイヤだ」とだけ思って、「 150万円を得る」ということを忘れたからだ。(総量の増加を見失った。算数で言うと、「+200 - 50 = +150 」ということを理解できないで、「マイナスが生じる」とだけ考えた。自給論者の論理とは、こういうものです。)
【 追記2 】
食糧自給については、「自給は絶対に必要だ」という見解もある。
しかしながら、そのせいで、国民は大幅な費用負担を強いられている、という点を理解しよう。たとえば、小麦価格の値上げがあり、このあとさらに値上げが見込まれている。しかしながら、実を言うと、相場の値上げ幅よりも、政府の課徴金の額の方が高い。政府が輸入小麦にやたらと高額の課徴金をかけなければ、小麦の価格は現状よりもずっと低くなる。そのおかげで、パンやラーメンの価格もずっと低くなるはずだ。
仮に、自給率をどんどん上げるとすれば、パンやラーメンの価格は現状の2倍か3倍ぐらいになる。それでもいいのだろうか?
あるいは、逆に、小麦の自給なんか諦めて、パンやラーメンの価格を現状よりも下げる方が、いいだろうか?
よく考えてほしい。
( ※ 詳しい話は → 泉の波立ち 4月30日 [ 付記 ])
なお、どっちみち、「石油の自給」はできない。「石油がストップすると国家系座がマヒするから、石油を自給しよう」なんて言い出したら、大東亜共栄圏のために戦争をした旧日本軍と同じになる。
いくら「食糧自給」を唱えても、「石油自給」はできないから、その「自給」というのは、かなり心許ないのである。
さらに言えば、「自給が続いている状況」で、「あるとき突然不作になった」としたら、「急激に海外から輸入しよう」と思っても、まず無理だと思った方がいい。「食料の供給元を、日本というただ一国に頼る」というのは、リスク管理の上からは、最悪の選択だと言える。
( ※ リスク管理のためには、供給元を分散することで、リスクを減らすことが必要。)
それにいつもは多様性が大事とおっしゃっていますが、農業と工業と両立できる社会構造のほうが、「比較優位」で全体量を最大化するよりも大事だとは思わないのですか。
工業が文明的で農業が原始人的ってのもなんとやら。
普通の自給農家のほうが普通の工場で働いている派遣労働者よりもはるかにいい生活してますよ。
ついでに日本人の主食である米の自給率はほぼ100%です。アメリカは食糧自給できてるうんぬんは、そういう政策をとっているからだけだと思いますが。農産物補助金の桁が違います。おっと下手なジョークに反応してしまった。
>本当の食糧危機になってからアフリカで輸出制限とでもなったらそれこそバカ丸出しですよ。
その通り。だから、次の点を補足するべきでしたね。
「輸出制限策が取られないように、契約を交わす。長期安定契約。違約の場合は多額の違約金」
(これは、書くつもりだったが、書かないでいた。この機会に書きました。)
> 自給率は飽食社会では実際の食糧危機とはかけはなれています。
自給論者の難点は、ここ。「世界全体が食糧危機になった場合には日本で自給すればいい」と思い込んでいるが、「世界全体が食糧危機になった場合には日本もまた不作になる」というのが正しい。
> それにいつもは多様性が大事とおっしゃっていますが、農業と工業と両立できる社会構造
「両立できる」のならば最高ですね。しかし「できる」のではなくて「無理にする」だけです。狭い日本で、莫大な補助金を費やして。
> 工業が文明的で農業が原始人的ってのもなんとやら。
誤読しないでください。種類の差を言っているのではなくて、所得の差をいっています。文明生活と非文明生活の違い。次を参照。
> 普通の自給農家のほうが普通の工場で働いている派遣労働者よりもはるかにいい生活してますよ。
その通り。では、なぜか? 自給農家は多額の金をもらっているからです。その形態は「輸入制限」ですが、実質的には、「工業労働者が莫大な金を払ってくれるから」です。工業労働者が金を払うから、その金で農家もまた潤う、というだけです。
で、なぜ潤うかというと、輸入制限をしているからです。これは実質的には、「農家が工業労働者の金を奪うから」です。泥棒と同じ。そして、元の工業労働者の金がなくなれば、泥棒をしたくても盗む金がなくなるので、自給農家の生活は極貧生活となります。
このことに気づかないで、「自給農家のほうが豊かだ」と思い込む人が多い。大いなる錯覚。……これは経済学の話だが。
> ついでに日本人の主食である米の自給率はほぼ100%です。
本項は、自給率を高めることの是非を論じているというよりは、経済効率の問題を論じています。経済効率の悪化を甘んじるのであれば、いくらでも自給率を高めることができますよ。
──
根源は次のことです。
「自給できるか、無理やり自給するか」
自給できるのであれば、それに越したことはありません。しかし、無理やり自給するために、輸入制限やら補助金やら、さまざまな措置を取れば、その弊害が大きくなります。
何かを取るには、何かの犠牲が必要です。その犠牲を無視するな、その犠牲に目を止めよ、ちゃんと目をあけてよく見よ。……そう言いたいわけです。
もし反論したいのであれば、「そういう犠牲を無視するべし」と書くべきです。
( とりあえずは食料の自由化を唱えたいところ。米や小麦もそうだし、ネギもそうだ。今みたいに輸入制限をするのは困る。)
とりあえず短くかきます。ほかについてはまた後ほど。
「輸出制限策が取られないように、契約を交わす。長期安定契約。違約の場合は多額の違約金」
なんとなくそうなのかと思っていましたが、これこそつまり植民地政策のようなものではないですか。
輸出制限策がとられるというのはつまりその生産国の食糧事情が危うい状態にあるからであって、そのような時に契約をもって輸出を強制する(または借金漬けにする)ような考えや、
国土がほとんど砂漠であるような荒れた国ならともかく、治水が行き届き、気候にも恵まれている日本のような国が、自ら望んで食料の自給を放棄して進んで他国に依存しようとするという考えはどうでしょう。新たなる弊害、犠牲を生み出す可能性が高いとは思いませんか。
社会では契約というものは絶対です。たとえ自分がどんなに困っても契約は守るべきです。
たとえば、会社が物品を納入するとして、自社の都合で納入できなくなったなら、他社製品を購入して代替にしてでも、是が非でも納入しなくてはなりません。それができなければ違約金だし、また、信用を失墜します。
> 他国に依存しようとするという考えはどうでしょう。
世界は持ちつ持たれつです。自給自足は時代遅れです。
日本が食料を輸入するのを拒むのであれば、当然、工業製品を輸出するのも拒まれます。(為替レートの自動調整で。)
タイムスタンプは下記。 ↓
それは先進国間での話ですよね?
彼らも自国民が食糧に困れば、緊急事態だから契約の履行はできないと言うでしょう。背に腹は変えられませんし。(というか、契約担当者がまともであれば、そういう例外規定が契約に盛り込まれることになるでしょう。)
そもそも馬鹿正直なのは日本ぐらいのもので、他国はしたたかですよね。相手の信用を失墜しても、それでもなお相手が欲するものを持っていれば、交渉を続けざるを得ません。工業製品が食糧と等価のカードになれば良いのですが、将来的な人口増・食糧危機のケースなどを考えると、ちょっと難しいのではないでしょうか。
危機管理という観点からは、多少コスト高になっても、自国での生産を推し進めるべきではないかと思いますが、如何でしょうか。
タイムスタンプは下記。 ↓
アメリカなんか規制緩和の圧力かけまくりながら
レアメタルとかでは輸出制限してるし
他国を信用して裏切られるの目に見えてる
>社会では契約というものは絶対
契約が絶対なのは、法律によって守られるからですよね
国家間だと、契約不履行の場合どうなるの?
たとえばあなたが会社経営をしていて、納期を破ったら、以後、取引先からは相手にされなくなります。あなたが失った金額は百万円だけだとしても、取引先には「生産中止による損害」が数億円も発生するからです。部品が一つ足りないだけで、生産がストップするんですよ。相手は大損。だから契約を守ることは絶対に必要です。自分が損をしないためでなく、相手に損をさせないために。
これが社会常識です。ここまで言えば、国家間でどうかも、明らかでしょう。よく考えてみてください。
自給論者はそういう想定をしばしばしますが、餓死するということは絶対にありません。世界には必要量の数倍もの食糧があります。その大部分は、家畜の飼料やエタノールその他の工業用に使われています。それらを人間様に転用すればいい。
つまり、生きるか死ぬかの問題ではなく、あくまでも金の問題です。
> 「保険」として
自給論者はそういう夢想をしばしばしますが、「保険」になんかなりません。保険というのは、リスクを低めるためにあるのであるのです。自国だけの生産ではリスクを高めるだけです。諸外国の生産があってこそリスクが下がる。
1国の不作という確率はありますが、数カ国の同時の不作という確率は低い。だから、数カ国に分散しておけば、リスクは下がります。
日本だけで自給していると、日本が不作になったとき、大変です。歴史上、そういうことはあります。(アイルランドのジャガイモ飢饉。日本の天保飢饉。)
> 「将来的な信用」よりも「契約の不履行」を選ぶと思いますが、、
自分で作った農作物ならば、それでもいいでしょう。しかし、日本の援助で作っておいて、「いざとなっても引き渡します」と契約して、金をもらっておきながら、肝心のときになったら、「やーめた、うそぴょん」というのでは、金を奪う詐欺と同じです。そんなのは泥棒と同様の犯罪行為です。
似た例で言えば、「自分が餓死するくらいなら、他人の食糧を奪う方がマシ」という発想がありますが、それとほぼ同然。そんなことをしたら、信用を失うだけでなく、犯罪となり、ぶんなぐられても仕方ない。
たぶん、現実には、担保として大量の土地を取られます。契約違反のあとでは、農地をすべて没収されるでしょう。それがイヤなら戦争になるかも。
ともあれ、「困ったときには契約不履行にすればいいさ。相手をだまして、今は金だけもらっておこう」という発想をすると、ろくなことはありませんよ。そういう人は、人生で必ず失敗します。誠実さの欠けた人間は、誰からも信用されず、相手にされません。
最近の事故米でだました社長がそう。一時は良くても、あとで破滅。
確かに自給率が高いと国内での飢饉時にリスクが高まってしまいますね。比喩的に言うと株式で一社の株を大量に買うより分散投資したほうがリスクが下がるという事でしょうか。
そういった時に迅速に輸入量を増加できればいいのですが。。。昔あった米不足での騒動を考えると外国にとってはちょっと日本に都合のいい論理になってしまいます。ただ、日本は鎖国をしているわけではないので天保飢饉のようにはならないと思います。自給率100%というのは極論であって、0か100かではなく、どのくらいのバランスが適当なのかという問題だと思います。
あと、世界には必要量の数倍もの食糧があるというお話ですが、では何故世界には餓死する人がたくさんいるのでしょうか。それは配分の問題ですよね。実際に世界で食料の囲い込みと価格高騰が起きた場合、その流動性は世界規模で果たして確保されるのでしょうか。オイルショック時のトイレットペーパーのような事にならなければいいのですが。。。
以上のような事を考えると、アフリカなどの途上国が国益などを論理的思考で考えた場合に「食料危機時でも変わらず食料を供給します」という契約をするのかどうかという疑問もあります。相手側がそういう契約をしてくれなければ今までの話は全く成り立ちません。
また、常に人や国が論理的な思考に基づいた行動をするとは限りませんので、やはり契約の不履行が起きる可能性も否定できないと思います。朝三暮四という言葉もあります。
世界中の人や国が管理人さんのように論理的な思考に基づいて行動してくれればいいですが、、、。
どこかに面白い話が出ていましたよ。主としてアメリカ人が大幅に食い過ぎるんです。牛の育成などで、家畜に飼料を大量に食わせる。結果的にアメリカ人は、アフリカ人の何倍か何十倍もの食糧を消費している計算になる。アメリカ人だけで世界のうちの相当量を食い尽くしているらしい。
(オーストラリアの牛は草を食うが、アメリカの牛は違う。)
富の配分でも、同様らしい。アメリカや先進国が世界の大半の富を得ているので、途上国は極貧。特にアフリカは。だからどんどん餓死者が出る。
ま、日本だって、(一部だけなら)餓死者は出ます。餓死ではなくても、経済的貧困からの自殺者は莫大です。配分の問題は確かにありますね。こういうのは、自給率を高めて解決する問題ではありません。
数カ国と契約すれば、数カ国が同時に食糧危機になる確率は低いので、問題ありません。そもそも、食糧危機というのは、あくまで価格の問題ですから、大騒ぎするほどのことじゃない。「食糧危機」という言葉にだまされないでください。食糧がなくなるわけじゃなくて、ただの価格高騰のことなので。
なお、地球全体で食糧が大幅に激減、ということは、有史以来、なかったようです。強いていえば、恐竜絶滅のころでしょうか。そういうときには、自給したって、無意味です。真の食糧危機とは、世界中で食糧がなくなることであり、その場合、日本だけが危機を免れる、ということはありえません。
飢餓への対策は、自給率ではなくて、イモです。前項を参照。
→ 食糧危機とイモ
http://openblog.meblog.biz/article/1020981.html