2006年05月28日

◆ ユニバーサル・デザイン


 マークシートについて論じたわけは、「誰にとっても住みやすい社会」を構築することだ。この発想は、「ユニバーサル・デザイン」という概念で理解できる。

──

 マークシートについてあれこれと述べたのは、特にマークシートに限って、対処を考えていたわけでもない。むしろ話を一般化して、より広い範囲のことを考えている。
 ここでは、「うっかりした人が可哀想だから」という同情(弱者への同情)から論じているのではない。むしろ「誰にとっても住みやすい社会」という点から論じている。こういう発想は、「ユニバーサル・デザイン」という概念で理解できる。

 今回の件で言うと、「うっかりした人が可哀想だ」というよりは、「うっかりした人を簡単に切り捨てるような社会は愚劣だ」ということだ。せっかく何千万円もの教育費をかけて、立派な人材を育て上げた。なのに、たったいっぺんの非本質的なうっかりのせいで、それまでのすべての教育成果を捨ててしまう。こういう馬鹿げたことをやる社会は、非常に非効率的だ。
 たとえば、新車開発のために、百億円をかけたとする。その後、発売前に重役決裁の書類があり、その書類にマークシートの欄があって、その記入をちょっと間違えたら、それだけで百億円の新車開発をすべてパーにしてしまう。……こういうことをやっている会社は、まったく非効率的な会社だ。そんな馬鹿げた罠みたいなものをわざわざ用意するくらいなら、そんな罠はさっさと廃止した方がいい。罠のかわりに、安全な手段を用意しておけばいい。(たとえば、マークシート欄のかわりに手書き欄だけを用意する。)

 だから、特定の弱者(うっかり者)への対処が大事なのではない。誰にとっても住みやすい社会が大事なのだ。うっかり者を救うかどうかが大事なのではなくて、うっかり者でも楽に過ごせる安全な社会を構築することが大事なのだ。なぜなら、人は人生の上では、数限りない失敗を犯すからだ。たとえ受験のときには失敗しなくても、人生のどこかでは必ず何らかの失敗をしているはずだ。そのたびに、いちいち「死刑」のような罠が用意されていては、とても住みやすい社会にはなれない。
 こういうことを理解して、「誰にでも住みやすい社会を」と考えるのが、ユニバーサル・デザインという発想だ。

 例としては、トヨタの「ラウム」という自動車がある。かなり高コストであるが、なかなか評判がいい。私としては珍しい話だが、トヨタの自動車を誉めておこう。発想の時点で「ユニバーサル・デザイン」という用語を使っているところが偉い。

 逆に、悪い例を示しておこう。それはソニーのパソコンだ。キーボードのキーが、平坦になっていて、出っぱっていない。普通はボタン状に出っぱっているものだが、周囲と同じ高さになっていて、出っぱっていない。そのせいで、すごく打ちにくい。打鍵速度も大幅に低下する。……これは、見た目のデザイン優先で、ユニバーサル・デザインとは正反対の発想を取るからだ。
(どの機種もそうだというわけではないが、そういう機種が多い。ソニーのパソコンは。)

 「うっかりしたなら本人が悪い」と批判する人がいるが、そういう人は、まず、自分自身の最近のうっかりを思い出すといいだろう。たとえば、ドアを閉め忘れた、とか、電気を消し忘れた、とかいうような。そして、それを理由として、「会社を解雇される」とか「無理に離婚されられる」とか、そんなハメになったとしたら、納得は行くまい。「もともとそういう契約になっています」と契約書を示されたとしても、やはり納得は行くまい。(契約を選択するための選択肢は用意されていない、というのが前提。)
 ユニバーサル・デザインでない社会は、ユニバーサル・デザインである社会へと、改善するべきなのだ。そして、そのための道標として、「ユニバーサル・デザイン」という概念がある。
 マークシートの話は、そのための一例(具体例)となる。
posted by 管理人 at 15:48 | Comment(0) | コンピュータ_02
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