2007年07月02日

◆ 孤立経済とエネルギー消費


 「エネルギーを大量に消費する先端経済は、まずい。だから、かわりに、エネルギーをあまり消費しない自給自足型の経済にすればいいだろう。昔のような生活をすればいいだろう。それでも、それはそれで幸福だろう。そうじゃないか?」
 という漠然たる疑問を、人はしばしば掲げる。答えがわからないまま、「それは可能かな?」と問う。そこで、この疑問に答えよう。

 ──

 これはつまり、
 「孤立経済は可能か?」
 ということだ。これに対する答えは簡単で、次のようになる。
 「可能ではあるが、生活レベルは著しく劣化する」

 この結論は、直感的に明らかだろう。
 その理由は、簡単に言えば、次の通り。
 「孤立経済」とは、「途上国の経済」のことである。たとえば、アフリカの途上国(のうちのいくつか)だ。そこでは、自給自足型の孤立経済が可能である。
 このことをイメージ的に理解しておこう。その上で、さらに詳しい説明は、後述する。 

 ──

 なお、あらかじめお断りしておくが、これは、マクロ経済学の問題ではなく、ただの企業経営の問題である。マクロ経済学(国家的な所得分析)の理論はまったく必要ない。企業経営の知識だけがあれば足りる。 

 ついでに言えば、この問題の出所は、あちこちにあるが、最近では、下記のサイトで話題になっていた。お暇な人は、そちらを読んでもいいだろう。(問題提起として)
 → http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/06/post-1.html
   (渡辺千賀のブログ)
  一部引用すると、次の通り。
「外貨をそれほど稼がずとも、自立して清く貧しく美しく、割と幸せに生きる」
 っていう選択肢は本当に無いのかなぁ、と思うのですよ。
 太陽発電等をもっと推し進めて輸入燃料依存度を減らす、都市を分散して個々の生活圏を縮小し、燃料を必要とする乗り物への依存度を減らす、などといった方法で燃料消費を極限まで押さえ、 一方で食料自給率を圧倒的に上げる
 ──

 話を始める前に、基本を述べておく。次のことだ。
 「自給自足の経済とは、孤立経済のことである」

 
 世間ではしばしば「食糧を自給しよう」という声が上がる。しかし、経済の原則として、輸出と輸入は均衡する。日本が食料の輸入をやめれば、当然、輸出は激減する。肉や小麦を輸入するのをやめるのであれば、代償として、自動車や電器製品の輸出をやめる。簡単に言えば、あなたがトヨタやソニーに勤めているとしたら、トヨタやソニーはつぶれてしまって、そのあと、農民として暮らすことになる。当然ながら、所得は十分の一ぐらいに低下する。(アジアの農民よりも低くなる。日本の方が農業生産性は低いので。)

 それでも「食料を輸出して、かつ、輸出もしたい」という発想をする人もいるだろう。それは、成り立たない。
 第一に、輸出入が均衡しなければ、為替レートが大幅に上昇する。1ドル=50円ぐらいになって、自動車の輸出価格が2倍ぐらいになって、輸出競争力をなくす。
 第二に、仮に輸出入が不均衡になったら、それこそ最悪である。「輸出はするが輸入はしない」ということは、「働いて金を得ても、その金を使うことができない(貯金するだけ)」というのと同じである。自動車を生産して、小麦も生産して、完全に自給自足するが、それで得た金で、買うことができない。働いても、名目上の金のほかには、商品を得られないのだから、ただの奴隷状態である。

 以上からわかるように、「自給自足」というのは、「孤立経済」のことである。そこでは、他人の生産した農産物を購入しないが、自分の生産した工業製品をも売却できない。
 その意味は、「非効率」である。「比較生産費」という経済概念からわかるように、貿易のなされる開放経済では「適材適所」ふうに、「適地で最適生産がなされる」というふうになる。逆に、孤立経済では、「不適地で非効率性産がなされる」というふうになる。たとえば、あなたが知的活動に向いていても、あなたは無理やり農民にならざるをえない。
(皮肉を言えば、「自給自足の経済をしよう」と唱えるエコノミストは無用の存在となり、農民の肥溜め掃除でもするようになる。……これはまあ、当然かもしれないが。)

 ──

 では、いよいよ、詳しく説明をしよう。
 この問題は、農業と工業との、二面で説明される。

 (1) 農業
 農業では、「自給自足」型の生活は、可能である。ただし、それには、前提がある。「土地が十分にあること」だ。
 ところがこの前提は、日本では満たされない。「日本の平野はごく少なくて、耕作地も少ない」というのは、小学校の社会科の時間で教わったはずだ。覚えていますか? (忘れたら、小学生に教わりましょう。)
 もともと食糧自給率は低いのだが、今後は食糧自給率を高めるとしたら、方法は、次の二つしかない。
  ・ 外国を侵略する(たとえば満州を)
  ・ 日本の人口を削減する(たとえば現在の2割程度に減らす)

 そのどちらかが必要だ。
 しかし現実には、そのどちらも無理である。とはいえ、無理を承知で実行する、という方針もありますけどね。(中国か日本のどちらかに原爆を落として、国民を虐殺する、という方法。)
 過激でしょうか? いや、これはただの論理的帰結だ。過激なのは、「孤立経済」を望む素人の方だ。

 (2) 工業
 工業でも、「自給自足」型の生活は、可能である。その実例は、すでにある。ソ連などの共産主義国家だ。かつてのソ連圏は、まさしく孤立経済を維持していた。その結果、科学技術の進歩は大幅に停滞して、国民の生活レベルはひどいものだった。
 さて。ここで問題だ。なぜ、共産圏では、そうなったのか? それは、孤立経済を実施すると、科学技術の進歩は大幅に停滞するからだ。
 では、その理由は? それは、経済学ではなく、経営判断からわかる。次のことだ。
 「小さな市場では、開発費を回収できないから、大規模な開発ができない」

 自動車であれ、ITであれ、薬剤であれ、大規模な技術開発は、大規模な市場が前提となる。小さな孤立経済の中では、大規模な開発費を投じても、開発費を回収できない。
 だから、孤立経済では、開発費が投じられずに、科学技術の進歩は大幅に停滞する。
 結果的に、孤立した直後では、結構うまく行くのだが、何十年もたつうちに、世界の開かれた経済からは、大幅に後退することになる。……それがつまりは、ソ連のありさまだった。

 ──

 以上のことから、孤立経済とはどういうものか、おおまかにわかっただろう。
 では、孤立経済では、幸福になれるか? 実は、なれる。いくら貧しくても、幸福になれる。どうやって? 次のことによる。
 「自分たちが他人に比べてひどい状況にあるということを自覚しないこと」

 これが満たされれば、自分の不幸(ひどさ)を自覚しないでいられるので、「自分たちは幸福だ」と錯覚していられる。

 そして、錯覚のためには、「情報統制」「情報隔離」があればいい。
 実際、北朝鮮だって、ソ連だって、情報を知らされていなければ、「自分たちは幸福だ」と思っていられた。60年代のソ連や北朝鮮は、まさしくそうだった。(その後、餓死者が続出するようになると、そうは言っていられないと気づいたようだが。)
 とにかく、情報操作によって洗脳して、人々を錯覚させれば、「自給自足の原始的な生活も幸福だ」というふうに、人々を思い込ませることができる。「ソ連はすばらしい」「北朝鮮はすばらしい」と賛美するように。
( だから、そういう生活をしたい人は、昔のソ連や現在の北朝鮮に行けば、自己の理想を実現できる。)

 まとめ。
 孤立経済は、次のように評価される。
 農業的には、まず無理である。
 工業的には、現状を悪化させるというよりは、発展を阻害する。ただし、その状況の真実を情報操作すれば(つまり国民をだませば)、「自分たちは幸福だ」と錯覚させることが可能である。



 各人はどうするべきか? 
 孤立経済が好きな人は、現状では、アフリカに行くか、北朝鮮に行くか、そのどちらかがいいでしょう。どちらにしても、環境に配慮した生活を過ごせます。(前述の通り。自己の理想を実現できる。)

 エネルギー消費の問題を、まともに理解しないまま、「エネルギーを減らそう」「自給自足をやろう」と思う人が多い。そういう人は、日本にいるのであれば、せいぜいレジ袋でも節約していればいいんですよ。そして自動車のアイドリングで莫大な燃料を無駄にしながら、「自分はレジ袋を節約する善人だなあ」と自己陶酔していればいいんです。
 愚か者は、「自分は善行をしている」というふうに、自分をだませばいい。
 幸福になるコツは、「自分は幸福だ」「自分は利口だ」というふうに、自分をだますことです。自分を洗脳することです。それが一番幸福になれる方法です。

( ※ 実を言えば、いちいち自分を洗脳するまでもなく、すでに洗脳されてしまっている人が大半だ。たとえば上記の引用ブログを読んで、「なるほど、そうだなあ」と思ったり、真っ正面から反論もできない人がそうだ。「エネルギー節約は善だ」と信じて、北朝鮮社会やアフリカ社会を理想とする人々。)



  【 追記 】
 「じゃ、どうすればいいのか?」
 という疑問には、次のように答えておく。

  ・ 孤立経済でなく、開放経済。(自給自足ではない。)
  ・ エネルギーをなるべく低消費にする。


 簡単に言えば、次のようになる。
 「現状は、エネルギー多消費型で、駄目な状況である。そこで、『昔の原始社会に戻れ。そこではエネルギー低消費だ』という案が出てくる。しかし、正しくは、技術開発などで、『文明社会』と『エネルギー低消費』とを両立させることだ。」

 つまり、後ろ向きに進むことではなく、前向きに進むことである。自動車で言えば、ガソリンがぶ飲みが駄目であるなら、自動車をやめて人力車にすればいいのではなく、ガソリンをがぶ飲みしない自動車にすればいい。たとえば、電気自車なら、圧倒的にエネルギー低消費である。

 ここでポイントを示そう。
 技術革新によってエネルギー消費を下げようとしても限界がある。だから、技術革新よりは、社会システムの修正の方がいい。たとえば、ガソリン車をハイブリッドにするのはいいが、それ以上はなかなか進まない。としたら、「燃料電池車にせよ」なんている過激な期待をするよりは、「路上をコンビニの倉庫代わりにするのをやめよう」というふうに、社会的な発想を変える方が、ずっと効果的だ。
( 現状では、路上をコンビニの倉庫代わりにしている。一日にトラックが何回もコンビニに来て、燃料を大量に消費するが、それというのも、路上をコンビニの倉庫代わりにすることで、在庫管理費が縮減できるからだ。コンビニ会社は得をして、社会的にはエネルギーを浪費する、というのが日本社会。こういう問題を指摘するべきなのが、良心的なエコノミスト。)

 《 補足 》
 「電気自転車なんか駄目だ。都心に乗り付けることができない」
 という反論が来そうだが、勘違いをしないように。ここでは、単に電気自転車を使えばいいのではなくて、電気自転車を使えば済むように社会システムを変えればいい。では、その意味は?
 「都市集中をやめて、職住近接にする」

 たとえば、わが国でも最先端の研究機関である理研は、埼玉県の和光市にある。こういうふうに、職場が郊外にあれば、そこに勤務する職員は、職場のすぐそばに住居を持てるので、職住近接となり、電気自転車で通勤することも可能になる。(雨の日だけは自動車やバスにするが。ま、カッパをかぶるのでも大丈夫。あるいは、歩くのでもいい。)
 何だか理想論を述べていて、現実性がないように聞こえるかもしれないが、これは欧米では常識である。どこの国だって、研究機関は全国各地に分散している。日本みたいに、東京近郊や筑波あたりに集中している方が、よほどおかしい。また、筑波にしたって、研究機関の集中ばかりがあって、職住近接とはいいがたい。(歩いて通えるほどではない。)
 だから、「職住近接」を目標として、職場の分散をすることが、エネルギー効率からも有利となる。しかるに現実には、「一極集中」をめざす方向に進んでいる。最近では都内で高層ビルが次々と建設されて、ますます都会のヒートアイランド化が進んでいる。本当なら、こういうことはあってはならないのだ。特に、品川あたりの高層ビルは、「風の道」をふさぐので、本来は全部解体するべきである。あれらのビルが東京全体に及ぼす悪影響(ヒートアイランド化)は、非常に大きい。私が首相だったら、さっさと解体命令を出したいですね。
 とにかく、エネルギーの問題は、社会システムの問題でもある。ここの自動車のエンジンをハイブリッドにすればいい、というような超局所的な問題だけでは済まないのだ。



 【 参考情報 】
エネルギー・環境 関係の情報 (いろいろ)
http://openblog.meblog.biz/category/4365.html

レジ袋有料化
http://openblog.meblog.biz/article/5423.html

右翼と左翼の話。「優勝劣敗と政治主義」
http://nando.seesaa.net/article/46156299.html
( nando ブログ 2007-06-29 )
posted by 管理人 at 19:53 | Comment(2) | エネルギー・環境1
この記事へのコメント
最後のあたりに、追記 を加筆しました。タイムスタンプは下記。 ↓
Posted by 管理人 at 2007年07月02日 22:08
>「小さな市場では、開発費を回収できないから、大規模な開発ができない」

国家管理経済のソ連が「開発費回収」まで考慮に入れて開発を進めていたのでしょうか?いささか疑問に思います。
Posted by tousan at 2008年03月31日 02:11
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